エアコン業界に入ってあれよあれよと、この4月でまる40年となりました😅
学校を出てはじめて会社に社員として入社したときは”脚立”という名前すら知らないひよっ子でしたが。
初めの1年近くは助手としてルームエアコンの設置やアンテナの工事を主に行っていました。
そこでは数人の先輩に毎日代わる代わる付くのですが人によって工事の手順ややり方が違って戸惑ったものです。
朝、出社して組まれた伝票を見て先輩が「わっ、かとうくんとかよ~😨」なんてよく言われました。
それもそのはず、二人で組むということは標準工事ではなく、室外機が天吊、壁面、屋根置きだったり一人でできない仕事ばかりですからね。
ようやくひとりで現場へ出るようになり、初めの夏は窓型(窓用)エアコン専門に1日10数件設置して回るということをよくやらされました。
当時は私と同年代の窓型エアコン(多くは冷房専用のクーラー)を購入する大学生や若い人が多かったですね。
普通のセパレート型ルームエアコンはまだまだ高かった時代です。
(セパレート型エアコン:室内機と室外機に分かれているタイプ)
セパレートは1台の取り付け代も工賃だけで2万円でしたからねぇ。
窓型エアコンは設置が楽なので、工事に15分、その後取り扱い説明をしてハンコをもらうのに10分、その次のお宅への移動に10分というペースでこなしていました。
その会社ではエアコン本体を配送屋さんが事前に運んでいてくれたので工事だけすればOK。
次の年あたりからは窓型の売れ行きが減ってきたのかセパレート型の設置がメインになって1日に4~5台を取り付ける感じでした。
アンテナ工事もTVのVHF・UHFの八木アンテナを立てたり、BSも普及し始めた時代でよくやりましたヨ。
屋根に上がるのも当時は平気でしたがいまでは怖くて上っても端に行けないです😂
その次の年になると下請け業者さんの教育係や、30人程度いる人員へのあくる日の伝票の割り振りを会社事務所に帰ってから行ったりという毎日。
ちょうどバブル全盛の頃でした。
その後、社内の業務用エアコンの施工部門に移ります。
この頃エアコンに対する興味も湧いてきて書籍を買っていろいろ調べ始めました。
でもあまり理解は深まらなかったですね。
会社ではそのような教育がなかったことと、先輩方もエアコンの構造やなぜ冷暖房ができるのかまではよく知らなかったのです。
まぁ工事業者というのはそういうものです。
数年後、その会社の限界を感じていたことや、さらなるブラック化への対応を迫られ退社。
次に入社したのはまた同じくエアコン工事会社です😅
そこではこれから工事に加えて修理も行うということでその担当に付きました。
普段は業務用エアコンの工事と施工管理、そして修理案件が発生するとそちらへ向かうという日々。
いろいろな会社のエアコンの定期メンテナンスも担当していました。
メーカーの修理やメンテナンスに関する講習などにも行かせてもらいましたヨ。
あ、そうだ思い出した・・・
ちょうど講習の日の朝、電車で当時住んでいた川崎の宮前区から東京北区の赤羽の講習会場に向かっていた途中、地下鉄の駅から地上に出るとパトカーがたくさん。
なにかあったのか?
帰宅して知ったのですが地下鉄サリン事件当日でした。
修理やメンテナンスをいくつもこなしてく中で以前購入した書籍の内容と現物とがつながっていき、ここでの仕事でエアコンの知識を深めることができました。
その後何年かやりましたが工事現場の独特な雰囲気にいまいちなじめない。
結局自宅から会社が遠かったこともあり辞めてルームエアコンの下請け業者になることを決意。
半年ほど引越し関連の下請けとしてルームエアコンの移設工事や水回りの工事をおこないます。
ところがその間休めない日が続き、多い日にはエアコン5台取り付けと7台外して作業が終わるのは夜10時なんてこともある強行軍状態。
そんな状況でまともな工事などできるわけもなく、下請けという現実を突きつけられました。
しばらくルームエアコンから離れているうちに時代は変わって工事も薄利多売の過当競争になっていたのです。
そして半年で体調の異変を感じ辞めることに。
その後はなんか他にいい仕事ないかな~(あるわけないよね~)としばらくのんびり過ごしていたのですが、インターネットにホームページでも作って仕事が受けられないものかと始めたのが当店です。
それから20数年、無理な仕事量は避け確実な工事・修理を行うことをモットーに続けてきました。
40年といっても長いようで短いような、まだそれでも新しい発見などがあるのが面白いところ。
もちろん大変な部分はありますが子供の頃、家に工事に来た電気屋さんを見て楽しそうだな~やってみたいな~と思った仕事をできる喜びを感じています😊

https://aircon.la.coocan.jp/