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2019年3月 3日 (日)

第二種電気工事士試験 今昔

近頃では第二種電気工事士を仕事などで必要でなくても取得される方もいて、ある程度勉強すると合格できるようで割と身近な資格となっているみたいです。

試験は筆記と技能の二つで、筆記試験を合格すると技能試験を受けることができます。

当店の女性のお客さんでも取得した方がおりました。

筆記試験は今も昔と変わらず四者択一だと思います。

でも技能試験は現在机上で行う方式に統一されているようですね。

私が試験を受けたのは昭和59年の春頃。当時は第二種は付いておらずただ電気工事士となっていました。

これとは別に高圧電気工事技術者という資格が存在していたため低圧電気工事士とか単に低圧とも呼ばれていました。

当時の技能試験はというと
昭和59年頃の電気工事士技能試験
このような板の前に立って現実の作業に近い形で行われていました。

試験会場にはこの板がたくさん並んで大勢で同時に受けます。

これを当時はA方式と呼んでいて、地方によっては現在と同じ机上で行うB方式がすでに始まっていました。

制限時間は30分で図面を渡されてその通りに材料をそろえ配線します。

ベンダーを使った金属管の曲げ加工もあり、力を入れすぎて折ってしまう人もいて緊張したものです。

なんといっても板の周りを隣、裏側と4人で同時作業するので振動がキツイ。
ネジでボックスを固定しようとすると裏側でステップルをハンマーで打ち付けてくる。当時はネジがマイナスなのでコケてはじかれ飛んで行ってしまったり・・・

隣の作業は見えるのでタイミングとれますが裏側から急にたたかれるとどうにもなりません。

一斉に作業するのですごい騒音で気が遠くなりそうです。

もちろんワイヤーストリッパーなどという便利な工具は使えず電線は電工ナイフで鉛筆むき。

圧着もワイヤコネクタも使わず電線相互を巻き付けて接続。巻き付け方が間違っていると減点されます。

レセプタクル(白熱電球の受口)取り付けは今でもあるようですね。リングの出来や方向、はみ出しなどが採点されます。

それでもなんとか制限時間内に納めて合格しました。

このような試験をどうして一回でクリアしたかというと当時は電気科に通う高校生。
電気が好きで(しびれるのがじゃありませんよ)電気科を希望しました。

そして技能試験へ向けて高校1年終わりの春休み中は毎日、学校で特別特訓が行われました。

ヨーイ、スタート!

A方式の試験会場が実習教室の中に再現されて教師の先生たちが試験官となって見て回ります。

みんな必死で板に向かい格闘。

ケーブルを押さえながらステップルを打つのが面倒で「おっ、このほうが楽なんじゃないの?」と先にステップルを打ってからケーブルを通すと“バチッ!”棒でたたかれました。(昭和の私のいた地方ではごく普通の光景)

「お前何やってんだ!こんなの(試験に)落ちるぞ。」怒られた~

知らぬ間に後ろで見てました。

はじめは制限時間をオーバーしていましたが次第に納まるようになり、おかげさまで試験に合格できました。
しかしこの毎日の特訓は精神的にもきつかった。

腰道具の身につけ方などもこの時に教えてもらいました。教員の中には実際に電気工事に携わってこられた方もいて電気工事の授業などを担当されてました。

そうそう、この電気工事士の免状は書き換えがないのでこのあいだまで写真が高校生のままだったんですよ。

さすがにこの年になって免状出したら16歳って・・・はずかしい(*ノωノ)

すっかり汚れていたし書き換えました。

でもこの免状は取得した都道府県でなければ書き換えできません。引っ越しても取得した地域になるのです。

問い合わせると郵送でもOKとのことで助かりました。

免状は[電気工事士]から[第二種電気工事士]へとかわり写真も現在の物です。
これなら見せても平気です。

免状には昭和59年8月27日交付となっているので試験合格してから交付手続きには結構時間がかかっていたんですね。

いまは試験もスマートになって昔より楽に取れる資格となりつつあるようです。

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